カランコロン、と軽やかな音が鳴って、喫茶店の扉が開いた。
「あら、ちゃん。また来てくれたのね」
「こんにちは」
日本人らしく軽くぺこっと頭を下げてからは喫茶店の中へと入る。
「ゆうくん、ちゃんがきたわよ。ご挨拶は?」
店主のみずきさんが手にしていた皿を一旦置いて、店の奥へと声をかける。
しばらくしてぽてぽてとやってきた彼女の息子はの姿をみつけると、にこっと花がほころぶような笑顔を見せた。
最近よく通うようになったこの喫茶店は、店主であるみずきさんが日本人であるだけあってどことなく和の空気を感じさせるちょっと珍しいお店だ。
彼女の息子である優斗と海辺で出会ってからちょくちょく来るようになったのだが、この店にはいつ来ても日本とイタリアの文化がほどよく混ざった不思議な空間をつくりだしていて、たいへんに居心地が良かった。
みずきさんの旦那さんにはまだ会ったことはないが彼もかなりの日本好きらしいので、はひそかに会ってみたいなと思っている。
がお気に入りの席に座ると、その横に優斗が椅子をよじ登るほうにして座った。
この店で飼われている、真っ白な毛並みに真っ赤な瞳を持つ不思議な動物(カルというらしい)が足下で丸くなる。
優斗はおっとりとした性格なので二人の間に会話はあまりないが、それでも違和感を感じさせない不思議な魅力が彼にはあった。
ふわふわとした雰囲気は見る者をなごませるし、彼の見せるとびっきりの笑顔を見るとつられてこちらまで笑顔になってしまう。
弟がいたらこういう子がいいな、とは思った。
この喫茶店によく遊びにくるのも、店の雰囲気を気に入っているはもちろんだが、優斗に会いに来ているからというのがたぶん一番大きい。
「はい、おまたせ」
みずきさんが湯気のたつカップをふたつ運んできた。
中には肌色の液体が入っていて、ミルクの甘い香りとオレンジのさわやかな香りが見事にマッチしている。
このオレンジを牛乳で濾した飲み物は優斗の大好物らしいのだが、今ではもココアと同じくらい好きな飲み物になっている。
ちなみにカルも好きなようで、人肌以下の温度に冷ましたものをおいしそうに喉を鳴らしながら飲んでいる姿はとてもかわいらしかった。
と、そこでのポケットに入っている携帯がぶるぶると震えた。
慌てて引っ張り出すと、予想通り父親からの着信だ。
平日の一番すいている時間なので他に客もいないし、みずきさんからも許可をもらったのですぐさま電話に出た。
「もしもし、お父さん?」
『うん。今どこにいるんだい』
「隣町の喫茶店」
『ああ、最近お気に入りの。山本が外食しようっていうから今から出かけるけど、くるかい?』
「どこ行くの?」
『みっつ隣の町。日本料理を出すお店が新しく出来たっていうから』
「行く」
父親の恋人である山本武という男は、実家が寿司屋なだけあってかなりの和食好きだ。
外国で日本食を出している店を見つけては必ず入り、外国人のイメージから作られた擬似日本食を楽しんでいる。
『じゃあ、今から迎えに行くから』
「うん、わかった」
通話の切れた電話をポケットにしまって、カップに残っていた牛乳のサモレを飲み干した。
あの二人は思い立ったら即行動、が基本なので、車なら数分で迎えがくるだろう。
「お父さまから?」
「うん、お出かけするんだって。ごちそうさまでした。また来ます」
「はい、お粗末さまでした。今度は是非お父さまも一緒に来てね」
みずきさんがお手製のビスケットの詰まった袋を持たせてくれた。
ときどきこうしてお菓子をくれたり、ただでお茶をだしてくれたり、みずきさんは本当に優しい。
「またね、優斗くん」
「うん、ばいばい」
さらさらの黒髪をなでてから、店の外へでる。
すぐに右ハンドルの車が目の前に止まったので、そのまま乗り込んだ。
「早いね、二人とも」
「車走らせながら電話かけてたからなー」
山本がハハハ、と笑った。
一方助手席に座っている父親の方は自分の娘が持っている袋に興味津々のようで、熱心に見つめている。
「、そのビスケットは?」
「みずきさんっていう、さっきの喫茶店の店主にいただいたの」
「ふうん。一枚ちょうだい」
「うん」
自分の父親の胃袋がブラックホールであることを熟知しているは一枚ではなく数枚渡した。
案の定雲雀はあっと言う間にたいらげて、おいしいねと目を細める。
どうやらかなりお気に召したようだった。
「今度僕も行ってみようかな。あそこのお茶はおいしいの?」
「おいしいよ。みずきさんは日本人だから、お願いすればちゃんとした日本食も作ってくれるし。でも、一番おいしいのは牛乳のサモレかな」
「なに、それ」
「オレンジをホットミルクで濾したやつ。あとたぶん、香り付けに何かの花を使ってると思うけど。今度お父さんも来てねって言ってた」
「ふうん」
じゃあ今度三人で行こうか、と雲雀が言う。
その言葉に愛娘と恋人が同意の意を示したところで、三人を乗せた車は本来の目的地に到着した。
カランコロン、と扉につけた鈴が音をたてたのに気付いて視線を向けたみずきは、そこに数日ぶりに見る自分の夫の姿を認めた。
彼はここ何日か仕事で隣の国に出張していたのだが、その両手にはあふれんばかりのおみやげが抱えられている。
「おかえりなさい」
「ただいま。おや、お客様がきてたんですか」
彼――六道骸は、愛妻の手元にふと視線を向けてそう聞いた。
普段なら一番客が少ないこの時間に彼女がお客用のカップを洗っているのは珍しい。
丁寧に水分をふきとったカップをもとの位置に戻しながら、みずきはそうなの、と頷いた。
「ゆうくんのお友達がきていたの。かわいらしいお嬢さんよ」
「おや、ガールフレンドですか?」
「というよりは、まるで姉弟ね。この間、海でびしょぬれになったゆうくんとカルを連れて帰ってきてくれたのだけど、年の割にとてもしっかりしているの。ちゃんっていう日本人の女の子よ」
「良い名前ですね」
「あなたが大好きな花ですものね」
ふふっとみずきは微笑んだ。
日本好きのこの夫は桜の花が大好きなのだ。
もし生まれていたのが女の子だったらおそらくと名付けたに違いない。
「ぱーぱ!」
奥からぽてぽてと歩いてきた優斗が久しぶりの父親の姿を見て嬉しそうに笑う。
骸は小さな身体を抱き上げると、その形の良い頭をなでた。
「いい子にしていましたか、優斗。またカルクスを困らせたりしませんでしたか?」
自分そっくりのさらさらとした黒髪をすいてやりながら言う。
すると、足下でしかめっつらをしてお座りをしていたカルが上質のルビーのような瞳を燃え上がらせてくわっ牙をむいた。
「困らせまくりだっつーの! だいたい、俺がいるからって五歳児を一人で外出させんなよ。海に落ちかけること三回、波飛沫でびしょぬれになること二回、その他にも危うく怪我をしそうになること五回以上! 何かあったらどうするつもりだ」
「きみがいるんだから大丈夫ですよ」
「だからって自分たちの子どもを放っておくなー!」
しっぽをばたばたと床に打ち付けてカルは叫んだ。
かわいらしい見た目とは裏腹にその声は若い青年のもので、口は結構悪い。
優斗をだいぶ気に入ったらしいあのという少女の手前普通の生き物らしくしゃべらないていたぶんいろいろと鬱憤もたまっているのか、ルビー色の瞳がこの上なくきらきらと輝いている。
それを綺麗ですねえと内心で感嘆しながら、骸は息子を降ろすとカルの頭にぽんと手を乗せた。
白く小さな頭をかきまぜるようになでて、喉の下をくすぐってやる。
いやがるように顔を振ったカルが猫パンチを繰り出す前にさっと手を引いて、彼は夫とベビーシッターのやりとりを微笑みながら見ていた妻を振り返った。
「みずき、今日は久しぶりにみんなで散歩に出かけましょうか。とてもいい天気です」
「あら、いいわね」
突然の提案にも全く動じることなく笑顔で頷いて、みずきはさっさとエプロンを外した。
先代店主の代からほとんど地元の住民しか訪れないのんびりとした喫茶店なので、散歩に出るために店を閉めるなんていうことも簡単にできるのだ。
まだぶつぶつと文句を言っているカルも一緒に、家族四人で石畳の道をゆっくりと歩く。
穏やかな午後の時間は、こうして過ぎていった。
とある喫茶店での話
カルは『だから俺はペットじゃない!』の夢主です。
あと、みずきママは夢の通い路の彼女。
数年後か十数年後の話がこれです。
2009.02.20
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