「うちのボスのところへいくけれど、一緒に来るかい?」
黒スーツを見事に着こなし、いつものように仕事へいく支度をすべて終えたお父さんはそう言った。
その後ろの方では山本さんが髭を剃っていて、手元に集中しながらもわたしがどう答えるか耳をすませているようだ。
わたしは拭き終えた皿を高いところに戻そうとちょうどつま先立ちになっていたので、かかとを一度床に戻してからお父さんを見上げる。
お父さんは僕がやるよとわたしの手からお皿を取り上げて、丁寧な手つきでそれをしまった。
ついでにわたしでは届かない位置のものを全部片付けてもらって、その間に少し考える。
「行っても邪魔にならない?」
お父さんは今日は特に重要な仕事じゃないからね、と頷いた。
髭そりを終えた山本さんがネクタイをしめながら近づいてきて、ただし行き先はボンゴレの支部だけどな、と忠告するような感じで言う。
なるほど、ついにわたしの存在がマフィア界に知られることになったというわけだ。
別に隠していたわけでもなんでもないし、知られたからといってまずいようなことは何もないのだけど、それにしても十年以上も知られなかったなんてすごいなと感心してしまった。
いつまでも独り身でいてもまわりが疑問に思わないくらい、マフィアとしての雲雀恭弥という男に家庭という言葉は似合わないということだろうか。
「行く。行ってみたい」
お父さんは、差し障りない程度には自分のボスについてあるいは同僚についてわたしに話してくれている。
だからわたしはお父さんの職場について少しばかり興味があったのだけど、わたしが頼んだからではなくお父さんが自ら連れて行ってくれるというのなら是非とも行ってみたかった。
行ってしまえば、確実にもうカタギには戻れないだろうとは思うけど、わたしは確かに雲雀恭弥の娘なのだ。
数年早いか遅いかの違いだけで、どのみち結果は同じになっていただろう。
だったら、今、行ってみたかった。
「じゃあ、支度をしておいで。車でも少し距離があるからね」
わたしの言葉を聞いて満足げに頷いたお父さんは、わたしの頭を優しい手つきでなでて嬉しそうに目を細めた。
山本さんと一緒に住むようになってからの一番の変化は、この表情だと思う。
お父さんは娘のわたしでさえびっくりするくらい表情豊かになったのだ。
お父さんから見るとわたしもそうらしいので、ああやっぱり親子なんだなあと思う。
「たぶん、なにか武器を持って行った方がいいと思うよ」
「危ないの?」
「いいや。ただ、鍛えがいのありそうな人間をみつけると手を出さずにはいられない家庭教師がいるだけさ」
少し笑って答えるお父さんの言葉は、正直よくわからなかった。
お父さんから家庭教師という言葉を聞いたのは今ので二回目だ。
まだ中学生だったお父さんの目の前にいきなり現れたマフィアのボスが家庭教師を名乗って昼夜問わず戦い抜いたという話をずいぶんと前にしてもらったけど、それ以来一度も聞いていない。
どういうことかはよくわからないけれど、お父さんはすました顔をしているし、きちんと身支度を調えた山本さんはにやにやとした顔でわたしを面白そうに見ているから、きっと行けばわかることなのだろう。
わたしはとりあえず部屋に戻って、毎日きちんと手入れをしている愛銃を準備した。
このベレッタはお父さんが一番最初にくれた銃で、わたしはとても気に入っている。
それからナイフも何本か。
これくらいは通常装備なのでもういくつか増やそうかと悩んだけど、結局やめておいた。
今回は命のやり取りが必要な場所に行くわけではない。
あくまでお父さんの仕事場にくっついていくだけなのだし、過剰な装備で何かを誤解されてはたまらない。
服は特に着替えなかった。
わたしが持っている服は基本的にデザインと機能性が両立したものばかりなので、その必要はないのだ。
玄関へ向かえば山本さんの姿はなくて、すでに車の準備をしているようだった。
わたしは愛用の焦げ茶のブーツを履いて外に出る。
お父さんが鍵を閉めて、山本さんの愛車に乗り込んだ。
助手席はお父さんの指定席で、わたしは後部座席。
お父さんと山本さんが揃っているとき、運転は必ず山本さんの役目だった。
お父さんもできるけど、山本さんの意外と丁寧な運転が気に入っているらしい。
確かにカーブを曲がるときのハンドルさばきなどは、お父さんの方が少しばかりきついのだ。
本格的にマフィアの世界にもぐりこむのは、これが初めてのことだ。
三人で出かけるのは久々だな、と思いながら、わたしは数週間ぶりの遠出を楽しむことにした。
行ってみる?
2008.02.26
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