ヒバリに子どもがいると知ったときの衝撃は、実は結構大きかった。
中学のときに出会って愛し合ってそれからしばらく離れている間、オレは数時間では言い尽くせないほどにいろいろな経験をしたし、ヒバリもまたそうだっただろう。
オレたちは出会ったころのような若々しさを忘れる程度には歳をとった。
だから互いの人生に昔では考えられないようなことが起きていても別段驚くようなことでもないと思っていたのだが、子ども、というのはさすがにオレの想像の範疇を軽く超えていた。
だって、子どもだ。
あのヒバリが子どもをつくって、しかも一人できちんと育て上げたということは、オレにとってはどうしようもないくらいにファンタジーな話だった。
あのヒバリがだぜ?
人と群れることを嫌うあのヒバリが、父親。
ヒバリは守護者としてときたまボンゴレ邸に顔を出すが、誰がそんなことを気づけただろう。
ヒバリについては一番敏感だと自負しているオレや、ボンゴレ特有の超直感を備えているツナだって全く気づかなかった。

だから、オレは二人で一緒に住むことを決めた後になって初めて聞かされた子どもの存在にひどく驚いて、そして一度決めたこととはいえこの同居話に待ったをかけた。
隠したくて言わなかったのか単に必要がなかったから言わなかっただけなのかは知らないが、口ぶりからしてかなり大事にしているらしい子どもに父親の恋人が男であるという状況はあまりよろしくないのではと思ったからだ。
だけどあの子なら問題ないよと言うヒバリの顔はいつもと全く変わらなくて、その子が良いと言うのならとオレは言った。
ヒバリは自信満々に大丈夫だよと言っていたけれど、それでもオレは半信半疑で。

だけどその子と初めて顔を合わせたとき、オレはああ、と納得してしまった。
容姿は母親似だというその女の子は、出会った頃のヒバリとよく似た目をしていたのだ。




「山本さん、お父さんは?」
「ヒバリなら散歩に行ったぜ」

リビングのドアからひょっこりと顔をのぞかせたは、そっかと言って静かにドアを閉めた。
一旦キッチンに入ると冷蔵庫から牛乳を取り出してマグカップに注ぐ。
電子レンジで温めてからココアの粉を溶かし込んで即席のココアを作ると、それを持ってオレの座るソファの向かいに腰を落ち着かせた。
ヒバリに似たらしく彼女も猫舌で、両手でマグを持って少しずつ口をつけている。
伏せられた長いまつげが影を作っていて、あと数年もしたらとんでもない美女になるだろうことは容易に予想ができた。

ヒバリ曰く、彼女の外見は母親似なのだという。
黒目黒髪はヒバリと一緒だが、やや猫っ毛なヒバリとは違い彼女の髪はまっすぐだ。
それを肩胛骨のあたりまで伸ばしていて、よくヒバリは彼女の髪をさわって楽しんでいる。
オレもよくさわるけど、彼女の髪は本当にさらさらとしていて綺麗だ。
まだ十代前半なだけあって美人というよりはかわいらしいと言った方がぴったりだけれど、やや大きめの瞳やすっと通った鼻梁、ちょんとした唇は美少女というには十分すぎるほど。
身長はそんなに高くもなく、しなやかな肢体は折れそうなほどに細い。
それでも筋肉のつきにくいくせにやけに力のあるヒバリの体質に似たらしく、一般的な少年少女とは比べものにならないほどの力を持っている。
コメの袋十五キロぶんをひょいっと簡単に持ち上げたときはちょっとどころかかなり驚いた。
さすがはヒバリの娘。

「‥‥油のにおい?」

マグを置いたが、すんと鼻を鳴らしてそう言った。
そういえば、オレはついさっきまで 自分の部屋で銃の手入れをしていたのだ。
もしかしたらそれかもしれない。
さて、どう言うべきだろうか。
ヒバリは自分の職業を隠すことなく、むしろオープンにして育てたとは言っていたけれど、果たしてどの程度知っているのかまだ把握できていない。
はしばらく考えるようなしぐさをした後、オレの方をみて首をこてんと傾けた。

「山本さん、銃の手入れした?」
「よくわかったな」
「うん、わたしも自分のを持ってるから」

なるほど、ヒバリの教育はずいぶんと実践的だ。
まぁ、ヒバリは人に散々恨まれても仕方のない仕事に就いているから、当然ヒバリの娘だというだけで命を狙われる可能性だって十分にある。
護身術を叩き込んでおくくらいは必要だろう。

「ヒバリの仕事について、どの程度知ってるんだ?」

ちょうどいいから本人に聞いてみようと思って聞けば、ようやくほどよい温度に冷めてきたらしいココアの味を楽しみながら、彼女は山本さんが思ってる以上には知ってるよと答えた。

「ほとんど全部。ボンゴレとか、マフィアのこともだいたい知ってる」
「自分で調べた?」
「のもあるけど、あとはお父さんが教えてくれた」

の話によれば、一般的な勉強と裏社会についての常識と、身を守るどころか人の命を奪う術まで全てヒバリが自分で教えたらしい。
なんて優秀な家庭教師だと賞賛したくなった。
さすがはヒバリ、完璧な教育だ。

は、将来やりたいこととかあるのか?」

いくらヒバリの娘とはいえ、彼女の存在は今のところマフィア界には知られていない。
普通の人間と同じ人生を歩みたいのなら、まだぎりぎり間に合うだろう。
これだけヒバリに大切にされて育てられた彼女が自分の人生についてどう考えているのかを知りたかった。
ヒバリは自分と同じ世界に来て欲しいとも来て欲しくないともはっきりとは言っていないし、彼女に殺しの技まで叩き込んだのはあくまで選択肢のひとつとしてであるようだ。
殺すも殺さないも全て自分で選べる状況にある彼女は、果たしてなんと答えるのか。

じっとオレが見つめる先で彼女は最後のひとくちを飲み干すと、わからない、と答えた。
カップの表面を桜色の小さくて丸い爪で軽く叩きながら、わからないから探してるの、と言う。

「ねぇ、山本さん」
「なんだ?」
「山本さんは、子どもの頃何になりたかったの?」

子ども特有の好奇心に満ちた瞳で見上げられる。
大きな丸い漆黒の瞳は今のオレたちがどこかへ置いてきてしまったもので、純粋に綺麗だな、と思った。

「野球選手だな。プロになろうと思ってた」
「やめちゃったの?」
「今の道を選んだからな。マフィアやってても野球はできるぜ」

少しちゃかしてそう言えば、そっかと頷いて、彼女は薄く微笑んだ。
その微笑みの意味がわからなくて首をかしげれば、はくすくすと笑って、だってね、と続ける。

「山本さんが野球を選んでいたら、お父さんは山本さんと一緒にはいられなかったでしょ。お父さんは山本さんと違って今の生き方以外の選択肢を持っていなかっただろうから」

だから、もし山本さんが野球をとればよかったって後悔してたら申し訳ないけど、お父さん的には良かったなって、そう思ったの。
ふわりと微笑むその表情は、おそらくこの同居生活を始めてから一番の笑顔だと思う。
ヒバリはこの笑みを見たことがあるのだろうか。
かわいらしい言葉に破顔して手触りの良い黒髪をかきまぜるようにしてなでながら、ヒバリが帰ってきたら聞いてみようと思った。


花咲くように笑う


2008.02.23