わたしには、二人の父がいる。

一人は実の父親。
わたしを産んですぐに逝ってしまった母のかわりに育ててくれた、唯一の肉親。

もう一人は父の恋人。
父とは父が母と出会うより前からの仲だったようで、一度は別れたもののまた一緒にいるようになった人だ。

父とわたしはずっと二人で住んでいたけれど、それが変わったのは約一カ月前のこと。
長期の出張から帰ってきた父がとある人物と一緒に暮らそうと思うと言ったのがはじまりだった。
子育てに関しては放任主義な父親の仕事は基本的に長期の出張ばかりで、住みかなどはもう何度変えたかわからないほどに点々としている。
わたしはそんな生活の中で一人でも自立できるだけのスキルを十分に身に付けていたけれど、嫌でなければ付いてくればいいという父の言葉に大人しく従うことにした。
理由は特にないけれど、普段わたしに何かを求めるというようなことは滅多にしない父の瞳が、なんとなく来て欲しそうな色を含んでいたような気がしたからだ。

父の恋人の名前は山本武。
父の勤め先――というのは少しばかり不適切な表現だが、ボンゴレ十代目の雲の守護者という任についている父と同じ六人の守護者のうち一人で、ボンゴレ二大剣豪の一人とも言われる剣士だ。
初めてあったその瞬間に、わたしは人と群れるのをひどく嫌う父が彼を選んだ理由を悟った。
彼の笑顔が作り出す独特の雰囲気は、とても心地が良いのだ。




カーテンの隙間から柔らかな陽射しが射しこんできて、わたしは眠りから覚めた。
カーテンを開ければ明るい茶色でまとめられた町並みが目に飛び込んでくる。
今住んでいるのはイタリアの北の方だ。
父と二人暮らしだったつい一カ月前までは日本に住んでいた。
日本人である父も山本さんも本当は日本に住みたかったようだけど、ボンゴレファミリーという巨大組織の重要幹部が二人とも日本に住むというのは少しばかり難しいらしく、こうしてイタリアに留まっている。
身支度を調えてリビングに向かえば、ふんわりとおいしそうな香りが漂ってきた。
キッチンでは前掛けをした山本さんがフライパンを握っていて、わたしに気付いて振り返るとおはようと言って笑った。
山本さんはよく笑顔を見せる人だ。
あまり表情を変えない父とそんな父に似たわたしの二人暮らしにはあまりない現象だったので、なんだか新しい感覚がする。

「朝メシすぐできっからちょっと待っててな」
「手伝った方が良い?」
「いや、いいよ。じゃあ、ヒバリ起こしてきてくんねぇ? たぶんまだ寝てると思う」
「わかった」

リビングを出て父と山本さんの寝室へと向かう。
父と山本さんが一緒に住むことを決めたとき、わたしの存在を知った山本さんは男同士のカップルは教育的にはあまりよくないのではと一応言ったらしいのだが、あいにく父もわたしもそんなことを気にするような質ではなかった。
父はマフィアというアングラな自分の仕事を隠すことは全くなかったし、むしろ積極的に戦い方を仕込んだり裏社会の常識を教えたりしていたから、そういうセクシャルな面の知識も幅広く持っている。
わたし自身に経験はないけれど、父と山本さんの寝室が同じであるということは、別にショックを受けるようなことでも驚くようなことでもなんでもないのだった。

「お父さん、起きてる? 朝ご飯だって」

トントンとドアをノックする。
返事がなかったので、すこしだけ開けて中を覗いた。
薄暗い室内はぼんやりとしているが、ベッドの膨らみが父であろうことははっきりとわかる。
もう一度声をかけても全く反応はなく、仕方がないのでカーテンを開けてからベッドに近づくと、シーツからはみでた腕がむきだしのままだった。
こういうことは同居が始まってからもう何回か遭遇したことなのでうろたえたりもしないけれど、娘にこんな状態の父親を起こさせにいく山本武という人間のおおらかさというものをいつも実感する。別にいいけどね。

「お父さん」

声をかけて肩をゆする。
ん、という寝ぼけた声が聞こえて、ああ昨夜はずいぶんと鳴かされたんだな、と思った。
普段の父は寝付きも寝起きもとてもいい。
だからこういうふうにいつまでもシーツにしがみついている父というのは同居生活が始まるまで一度もみたことがなくて、初めて間に当たりにしたときはさすがに少し驚いた。
山本さんといるときの父はひどく人間らしいと思う。それが少しだけ羨ましい。

「‥‥朝?」
「そう、朝。もうすぐご飯できるって」

ようやく目覚めた父はぼうっとした瞳のままゆっくりと起き上がった。
艶やかな黒髪と眠気にとろけた漆黒の瞳はわたしと同じで、寝乱れている父の姿は綺麗だと思う。
しっかりと鍛えられた胸や背中に散っている赤い痕は気にしない。そんなものは本当に今更だった。
軽く頭をふって眠気を飛ばした父は、完全に覚醒した目でわたしを見るとおはようと言ってまなじりに唇をおとした。
山本を手伝っておいでとわたしの背を押して、シャワー室へと向かう。
言われた通りわたしがリビングへと戻ると、既にテーブルの上には朝食がずらりと並んでいた。
今朝のメニューはトーストと目玉焼き、それから焼いたハムとサラダだ。

「ヒバリ起きた?」
「起きた。シャワー浴びてるから、もう少ししたらくると思う」
「そっか」

ちょうど冷蔵庫に牛乳をしまったところだった山本さんはがしがしとわたしの頭をなでた。
まだ少し残っている牛乳パックの冷たさと男性らしい大きくてしっかりとしたてのひらがなんともアンバランスだ。

「そうしていると親子みたいだね」

意外にも早くリビングに現れた父が、くすくすと笑いながらわたしと山本さんを見る。
山本さんは嬉しそうにそりゃいいやと言って満面の笑顔になった。
父はわたしの両肩に手を添えて、食べようかと席につく。

山本さんと一緒に住むようになってから、父がわたしに触れる回数はずいぶんと増えたと思う。
さっき起こしたときのキスも、今のようなちょっとしたふれあいも、一カ月前まではあまりなかったことだ。
はじめは少し戸惑ったけれど、嬉しいと確かに思ったことも覚えている。
山本さんの存在は、わたしたち父子に確実に暖かいなにかをもたらしているのだ。

三人の朝


2008.02.23