「うっわあぁぁぁぁあああ!!」
「!?」
ちょっとした崖の下、上手い具合に日陰になっている所で読書を楽しんでいたルイは、上から降ってきた悲鳴に一瞬対処が遅れた。素速く本だけは放り投げたため無事だが、落ちてきた人物を受け止めた勢いは殺せず、ルイの小柄な身体はそのまま降ってきた人物の下敷きになった。もっとも落ちてきた方も細身でそれほど重くはないので、ダメージはほとんどなかったが。
自分の肩口のあたりに埋もれている金髪を確認して、ルイはぱちぱちと瞬きをした。崖の上の方を見上げれば小柄な影がこちらの方を覗き込んでおり、無事だということを示すように唯一下敷きになっていない右手をひらひらと振ってやる。確認したらしい相手は頷くようなしぐさをした後、ひょいと頭を引っ込めた。
「いっ‥‥ててて‥‥」
「大丈夫? ディーノ」
「ああうん、大丈夫‥‥って、ルイ!?」
勢いよく顔を上げたディーノは、そこで初めて自分が知り合いの少女を下敷きにしていたことに気付いたらしく、一気に真っ青になると慌てて立ち上がった。その際にまた滑ってうしろへひっくり返るのはお約束。幼馴染みのドジっぷりをよく知っているルイは素速く身を起こすと手を差し出した。出された手を見てディーノは情けない顔をしたが、年齢が一桁のときから一緒にいるのだ、これ以上にかっこうわるい場面などいくらでも見られている。大人しく手を借りて、今度こそちゃんと立ち上がった。
「悪い、まさか人がいるとは思わなくって」
「また修行?」
「そう、修行。リボーンのやつ容赦ねぇの。殺す気かっつーの」
「でも、とても優秀な家庭教師だわ。いいな、わたしも見てもらいたかったのに」
「いやお前は必要ねぇじゃん。今のままでも十分強いし」
あのスクアーロと張り合えるんだからさ、とまでは続けなかった。ディーノとルイは幼い頃からよく顔を合わせてきた。二人ともボンゴレ九代目を祖父のように慕っており、またルイはキャバッローネの九代目にもなついていたため、兄弟同然に育ったと言ってもいいくらいである。いつまでたってもへなちょこの自分とは違い、この日本人形みたいに可憐な幼馴染みはこの年齢にしては強すぎるほどの戦闘能力を持っている。ルイの隣は自分のものだと思っていたのに、この学校に入ってからよく組むようになったというスクアーロに、かすかな嫉妬心を抱いていた。最もそこに、恋心だとかそういうものは一切ない。周囲の者がおやっと思うほどに、ディーノのルイに対する感情は親愛の情でしかなかった。
「その通りだぞ、ルイ。お前よりもこいつの方が遥かに弱ぇからな」
「リボーン」
まだ伸び盛り故にそれほど目線の高くない二人よりもさらに低い所から聞こえた声。視線を下げれば、黒いスーツにカメレオンを連れた赤ん坊が立っていた。
ボンゴレ最強のヒットマン、リボーンだ。
「チャオ、ルイ。悪いな、不出来な弟子が迷惑をかけた」
「ううん、大丈夫。ディーノ、前よりも筋肉ついてたし、受け身も上手くなってたもの」
自分ではあまり自覚していなかった修行の成果を指摘されて、ディーノは驚いた。自分の腕やら肩やらを触ってみるが、以前とあまり変わっていないような気がする。確かに最近は受け身を取り損ねての怪我の回数は減ったような気もするが、さっきの落下からそれを読み取るとは、やっぱりルイはすごい。
少々へこみ気味のディーノをよそに、ルイとリボーンは銃談義に花を咲かせ始めていた。ディーノのわからない専門用語がいくつも飛び出し、ときどきリボーンが驚いたようにお前そんなことまで知ってるのかと呆れ混じりに言いながら、内容はどんどん濃くなっていく。
「おーい」
俺の修行は? ディーノの呼びかけも虚しく、加熱した二人の会話は止まらない。
ようやく銃談義が終わった頃には、ディーノはすぐそばの木にもたれて眠ってしまっていた。
「‥‥リボーン。知ってる? 最近、キャバッローネのシマが荒れてるってこと」
読書中に膝にかけていた膝掛けをディーノにかけてやりながら、ルイはリボーンに尋ねた。ルイの情報収集能力はこの年にしてはできすぎなほどなのだが、先日手に入れた情報は信じられないほどによくないものだった。おそらくディーノはまだ知らない。 木にもたれて眠るディーノの正面に座って、ルイはリボーンを振り返った。リボーンの表情は硬く、それだけで、ルイは悟ってしまった。
「ボンゴレは、動かねぇ。いや、動けねぇ。九代目はいつでも応援を出すっつってるが、キャバッローネの方が頷かねぇ」
「おじさまは、誇り高い方だから」
でも、とルイは思う。おじさまには、死んで欲しくない。マフィアの誇り高さは、マフィアに囲まれて育ったルイ自身もよく知っている。知っているけれど、それでも。
ルイの拳に力がこもる。リボーンは小さく、気付かれないようにため息を吐き出した。本当は、この件に関してはルイには教えるなと九代目から言われていた。彼女の実力なら、一人でもキャバッローネに加勢することができる。精神的にまだ未熟な部分を残す彼女が無謀な行動を取ることを懸念しての判断だったのだろうが、珍しく読み間違えたな、と思った。ルイはもはや一人前のマフィアだ。自分で情報を集め、判断し、己の力ではどうしようもできないときは信頼できる人物に判断を仰ぐ冷静な思考力をも兼ね備えている。これから、彼女の能力、価値、立場‥‥そういうものを巡って多少のごたごたが起こるであろうことは容易に想像ができた。そして、それを予感しているらしいルイの心情も。
「リボーン。わたしにできることは、ある?」
静かな声。穏やかなディーノの寝顔を見つめるその瞳は、この上ない慈しみに溢れている。リボーンは知っていた。ディーノがルイを兄弟のように思っているのと同様に、ルイもまた恋情なしにディーノを大切に思っていることを。
ディーノを一番よく理解しているのは、おそらくディーノの父でもなくボンゴレ九代目でも自分でもなく、この賢い少女だ。最近キャバッローネの上層部では、キャバッローネ十代目の妻候補にルイの名が頻繁に上がるようになってきている。資格としては十分すぎるほどにあった。そして何より、いずれ恋愛や結婚すらも自由にはできなくなるであろう二人に対する周囲の配慮でもある。ルイとディーノの間に恋愛感情というものはないが、世の中にはそういう夫婦関係もあるものだ。マフィアのボスという立場上、恋愛結婚よりも政略結婚の可能性の方がずっと高いのであるならば、そこに恋情がなくとも、互いを大切に思い、支え合い、共に生きていくことのできる相手の方が良いのではないか。
ディーノの家庭教師を引き受けたのは比較的最近であり、それなりに長くのこ二人を見たわけでないリボーンでさえ同じ事を考えてしまうほどに、この二人はふさわしく、その間にある親愛の絆は強いものがあった。
「ねぇな。ボンゴレが動けないのと同じように、お前も動けねぇ」
「‥‥そう」
とても銃やナイフを持つ手とは思えないほどに白く、細い指先が優しくディーノの頬を撫でる。



――ディーノがリボーンのもとから逃げ出したのは、その翌日のことだった。



懐かしき穏やかな日々1

小説版過去話。
男女の間にあるのは恋情だけじゃないっていうのを書いてみたかった。

2008.02.04