それは、ほんの数年前の話。




「オレの隣にいてくれ」
金髪に琥珀色の瞳を持つ、明らかに女性受けしそうな甘い顔を持ったキャバッローネの十代目は、至極真面目な顔で十代前半のガキにそう言った。言われた方のガキ、つまり俺と言えば、とりあえず真面目に言われたからには真面目に答えるのが筋だろうということで姿勢をただして短く一言だけ答える。
「無理」
「‥‥‥‥。嫌、じゃなくて無理と答えた理由は」
ちょっとだけ泣きそうな顔をしながらも、跳ね馬ディーノは冷静にそう切り返してきた。うん、鋭い。確かに俺は嫌だとは言っていない。それどころか、決して嫌ではない。この八歳も年上の男と出会ったのはわずか数ヶ月前のことだが、初めて顔を見た瞬間からこの男だ、と思ったのも確かなのだから。
でも俺は、この男のラブコールを受け取ることはできない。
愛していないからとかそんなのは全く関係ない。
問題は、この男はマフィアのボスで、俺は男だという、ただそれだけだ。
「あんたはキャバッローネの十代目だろ。ってことは、いつかは必ず結婚して跡継ぎを残す義務がある。男の俺じゃあ子どもはつくってやれねぇし、男の愛人がいると奥さんになる人が大変だろ。下手すりゃ内部抗争だって起きる。その原因になるわけにはいかねえよ」
ディーノは押し黙った。俺の言葉が正しいから、何も言えないのだ。言えなくしたのは俺。愛しているか愛していないかの二択で聞かれたら、俺は間違いなくこの男を愛している。愛しているからこそ、この男の手を取ることはできないのだ。
「‥‥
「ん?」
しばらく黙っていたディーノは、やがて決心したような顔で俺の目をじっと見つめた。俺はこの瞳が好きだ。透き通った琥珀。くり抜いてやりたくなるほどに、綺麗な飴色。告白するならば、俺はこの魅力的な色の瞳がとてつもなく欲しい。
「お前が断る理由は、それだけなんだな? オレが嫌いだからというわけではないんだな?」
「もちろん」
本当にそれだけだ。俺がこいつの隣に立てば、間違いなくそう遠くない未来にキャバッローネ内で対立が起こる。そんなのはごめんだ。
ディーノは深く息を吐き出した。まいったな、というようなニュアンスのため息だ。
「あのな、。跡継ぎの問題は、全く問題ねぇんだ。婚約者がいるから」
「‥‥は?」
婚約者?
ぽかんとしてしまった俺を見て、ディーノは困ったように笑う。無防備な俺の手を握って、ディーノは真剣な顔をして言った。
「幼馴染みのやつがいてな、そいつと結婚することになってる。これはもう決定しているから、覆ることは絶対にない」
「‥‥ちょっと待て」
握られた手はそのままに、俺は空いている方の手でがりがりと頭をかきむしった。ちょっと待て、なんだそれは。
「じゃあなおさら頷けねぇよ。その婚約者に申し訳ないっつーか、お前その婚約者に対しても俺に対しても失礼だと思わねぇ?」
自分の婚約者が愛人を作って、しかも男に走ったとなればそれは恥以外の何物でもないだろう。そういうのは、最低だ。
ところがディーノはいいやと首を振った。まぁ最後まで聞け、と言う。まあ、聞くぐらいなら別にいい。
「そいつ、ルイっつーんだが、ルイと俺は幼馴染みでな。男女の恋愛っつーものはなくて、むしろ双子の兄弟みたいなもんなんだ。立場上、どのみちあいつはどっかのボスと結婚しなくちゃならねぇし、オレもどっかの女を貰わなくちゃならねぇ。だが、あいつはただのボスの女には収まりきらないほどいい女でな。だったらオレの妻んなった方があいつとしてもオレとしても、ついでにマフィア界の政治的な面でも全てが丸く収まっていいんじゃねぇかっていうことなんだ。ルイにはもうおまえのことは話してあってな。別に構わないって言っていた」
なんだそりゃ。呆れて声もでないとは、こういうことなのだろうか。奥さん公認の愛人、しかも男。年齢差と今現在の俺が十代前半のガキんちょだってことはまず置いとくとしても、 めちゃくちゃな状況だってのは一目瞭然だ。そんなんでいいのか、マフィア。そんなんでいいのか、ボス。
「でもやっぱ無理」
「なんで!」
がく、とディーノが沈んだ。うん、いや、まぁ、な。そりゃ確かに俺が提示した問題点は解決してるが、してるように見えるが、それでも、なんというか、なぁ。
やっぱりめちゃくちゃすぎるだろう。
「悪いな、ディーノ。そんなわけで、諦めてくれ」
――その瞬間のディーノの表情は、俺が見た中で一番ひどいものだった。
仕事があるからと迎えに来たロマーリオに強制的に引きずられて帰っていったディーノの背中があんまりにもかわいそうだったので、俺は出会ってからの数ヶ月間一度も言ってやらなかった言葉をプレゼントしてやった。面と向かって言わなかったのは、言ったら最後俺はずっとあいつの隣にいなくちゃならなくなるからだ。
「愛してるぜ、ディーノ」
またな。
小さく呟かれた俺の言葉は、直後に吹いた穏やかな風に紛れて、消えた。

ところが後日、幼馴染みの所有する屋敷でくつろいでいた俺を訪れてきた客の言葉に、俺は唖然とすることになる。




「‥‥‥‥は?」
「だから、もう一回言うわね。あなたがディーノのそばにいかない限り、わたしはディーノとは結婚しないわ」
「いやちょっと待てなんだそれ」
ルイ、と名のった黒髪の綺麗な年上の日本人は、そう言って微笑んだ。腰まである長い黒髪に、優しい色合いの黒目と白い肌が魅力的な美人だ。とても銃をもつような女傑には見えないもののその実力は相当なものらしい。なんであいつこんな綺麗な人に惚れないで俺なんかに惚れたんだよ畜生。
ルイさんは、いきなり登場した跳ね馬の婚約者に驚いている俺にこう言った。
あなたがディーノの手を取らないのなら、わたしも彼とは結婚しないわ。
なんだよそれ。普通逆だろ?ありえねぇ。
「あんたはそれでいいわけ」
「いいのよ、わたしとディーノの間に恋情はないから。むしろ絶対に捨てられないはずのファミリーを投げだそうと本気で考えてしまうほどに愛することのできるものをディーノが見つけたことがとても嬉しいの」
ルイさんは微笑む。それは弟を想う姉のような、息子を想う母のような、大切な人に対する愛情で溢れていた。その瞳が今は俺に対しても向けられていて、俺はあらがうことができない。こういうのには、ひどく弱いのだ。
「今日わたしがここへ来たのは、ディーノに頼まれたからではないのよ。ディーノがあれだけ心から欲したあなたと直接話がしたいと思ったから。きっとショックを受けるだろうから、ディーノには内緒ね」
片目をつぶって人差し指を立てて、ルイさんはそう言った。あとはあなたの選択次第だから、よく考えてみてね。それだけを言い残して、来たときと同じように唐突に帰って行った。
さすがはディーノの幼馴染みと言うべきか、一筋縄ではいかない人だ。確かにあれでは、そこらのボス程度ではとても扱いきれないだろう。
残された部屋で、俺は考える。反則だ。あんなことを言われてしまったら、あんなふうに言われてしまったら、もう答えはひとつしかないじゃないか。
「あーあ‥‥」
天井を仰いで、ため息。
俺の人生は、この瞬間に決まったと言っても良かった。




。もう一回言う。俺と一緒にいてくれ」
「わかった」
「ああ、いいのか。‥‥え?」
後日リベンジに来た跳ね馬に、俺はあっさりとそう言ってやった。ディーノは良かったと胸をなで下ろして、しかしそこで動作が止まる。がばっと勢いよく俺の両手をとると、熱でもあるんじゃないのかととんちんかんなことを言った。
「ねぇよ」
「だって! この間はあんなに意地はって無理無理言ってたんだぞ!? この数日間の間に一体何があったんだ?」
やはりこいつは鋭い、と思った。俺が半分意地をはってたことも見抜いていやがった。だからこうして再び同じ言葉を言いにこれたのだろう。
全く、良い根性してやがる。
「ルイさんに会った」
びき、とディーノは固まった。
ルイさんにはディーノには内緒ねと言われたが、やられっぱなしではなんとなくむかつくのでここらで仕返しをしておくことにする。‥‥肝心のダメージがルイさんではなくディーノにのみいっているような気がしなくもないが、まあ、いっか。
そのかわり、俺がルイさんに言われた言葉は言わないでおく。ディーノがきちんと跡継ぎを作れるように俺が妥協したと思われることはまずないだろうが、それでもああいうふうに言われたということを知られるのは全く気にくわない。あんな言葉がなくたって、俺がこの男を愛しているのは事実なのだから。
ディーノは頭を抱えて、なにやらぶつぶつと呟いている。ルイさんが俺に会ったのが相当にショックだったらしい。
「ディーノ」
名前を呼んでやれば、ものすごく情けない顔をしたディーノの顔があった。あんまりにもかわいそうなので、特効薬をくれてやることにする。
「愛してるぜ、ディーノ」
目を見開いて一瞬無防備な顔をさらした恋人は、直後に満面の笑顔になって、熱烈なファーストキスを送ってくれた。

02:ファーストキス

片桐ルイ。ディーノと同い年。スクアーロとは親友。
2008.02.14