雲雀がを追い始めてから二ヶ月経った。 結局あの公園で接触した日以来彼を見つけることができたのは一度きりで、もう一月以上も隠れ家どころか足取りすら掴めていない。 情報収集の一環としてと親しい友人であるらしいヴァリアーの剣士に尋ねてみたりもしたのだが、あいつまた消えたのか、というような顔をされただけだった。 その後、たまたま会談のためにボンゴレを訪れていた跳ね馬から有力な情報をもらいこうして南イタリアの海岸沿いの町を訪れているのだが、今までにここまで雲雀を手こずらせた相手は一人としていない。 こんなに咬み殺しがいのある相手は初めてだった。 今雲雀がいるのは歴史を感じさせる石畳が整然と並んだ、大通りと言うには小規模だがそれなりに人通りのあるピアネロットロ通りの真ん中だ。 小さなお店がいくつも並び、なかなかにおしゃれな雰囲気である。 久々に会った自称師匠はピアネロットロの時計屋へ行ってみろ、と言った。 そこが駄目だったらしばらくは諦めた方がいい、とも。 追えば追うほど逃げていくから、だったらが自然に出てくるのを待った方が見つけやすいとの助言もいただいたのだが、あいにく獲物を呑気に待っていられるほど雲雀の気は長くはない。 そんなわけでとりあえずピアネロットロ通りまで来た雲雀だったが、正直そんな時計屋があるかどうか全く疑わしかった。 事前に調べた限りではこの通りに時計屋は一軒も存在しないのである。 だがディーノ曰く、その店はあるときはあるし、ないときはなく、ディーノでさえいつも行ってみなければわからないらしい。 どんな店だ、と雲雀は一瞬思ったが、彼が嘘をついているようには見えなかったのでこうして一軒一軒を確かめながら歩いている。 これで空ぶりだったら咬み殺してやろうと思いながらもう何軒目かもわからないショーウィンドウを覗いたとき、ぴたりと雲雀の足が止まった。 よく磨かれたガラスの向こうには様々な種類の時計が並び、木製の古びた扉にはご丁寧にも“時計屋カプリチョーザ”の文字が刻まれている。 これだ、という確信が雲雀の唇を笑みの形につり上げた。 それからゆっくりとその扉を押し開ける。 カランコロンという涼やかな音と共に、雲雀は店内に滑り込んだ。 ずいぶんとこじんまりとした店だった。 客が数名入るか入らないかくらいの広さしかなく、中央のカウンターによって今雲雀のいる店側と工房のような奥とが仕切られている。 「いらっしゃい」 そう言って雲雀を迎えたのは、うすく透き通るような長い金髪に薄いグレーの瞳を持った女性だった。 年は雲雀と同じか、少し下くらいだろうか。 読みかけだった本をカウンターに置くと、ふわりと作り物ではない柔らかな笑みを見せた。 「時計をお探し? それとも、修理の依頼かしら」 「いいや、人探しをしてるんだ」 雲雀の返答に、彼女はぱちりと大きく瞬いた。 よくよく見れば彼女の瞳は一見グレーに見えるが、中心が芥子粒ほどだけ赤かった。 まるで血が水の中で凍り付いたような、不思議な色あいをしている。 首をかしげると、ゆるく波打つ金髪がさらりと肩からこぼれ落ちた。 動作のひとつひとつが洗練されていて、どことなく育ちの良さを感じさせる。 人の顔の美醜にはあまり執着のない雲雀だが、それでも目の前にいる女性がかなりの美人であることは確かだった。 「うちは探偵事務所ではないけれど、誰を捜しているの?」 大きめの瞳が好奇心に満ちている。 「っていう殺し屋さ」 別に隠す必要もないので素直にそう答えると、彼女は一瞬目を見開いた後、にこりと笑顔になった。 「じゃあ、あなたが雲雀恭弥なのかしら」 「そうだけど。そういうきみは?」 「わたしはラフィリア。リティでいいわ。はわたしの兄なの」 「……妹がいたんだ」 「血は繋がってないけれどね」 驚く雲雀に、ふふっと微笑んでみせる。 彼女はちらりと壁にかけられた時計を見上げ、それからじっと雲雀を見つめた。 「ここのお店には、どうやってたどり着いたの? 普通の方法では見つけられないようになっているのだけど」 「跳ね馬に教えてもらったのさ。 もっとも、行っても見つかるかどうかはわからないっていう注釈つきだったけどね」 雲雀は小さく肩を竦めてみせた。 そんな彼の一挙一動を、リティは細かな表情の変化までもらさないように観察しているようだった。 まるで、雲雀恭弥という人間を見極めようとするように。 「兄を捜しているのは、なぜ?」 「逃げられるから。闘いたいんだけどね、全然つかまらないのさ」 「そうでしょうね。兄は、強いくせに闘うのはあまり好きじゃないから」 リティが小さく吹き出して笑った。 つられるように雲雀も笑って、別に闘うことだけが目的ではないんだけどね、と続ける。 「彼という人間に興味があるんだ。 あんなに追いかけても逃げられるなんて、今までになかったからね。からかうと面白いし」 「あなた、兄のことが好きなの?」 ずばりと彼女は訊いた。 今度は雲雀が目を見開く番だった。 彼女が言っている内容は、雲雀自身あまり考えたことのない次元の話だったので。 「兄から聞いているの。逃げても逃げても追いかけてくるし、トンファーで殴りかかってくるだけじゃなくて色仕掛けみたいないたずらも仕掛けてくるから対応に困るって。それって、まるであなたが兄に恋をしているみたいだわ」 「僕が彼を好きだっていうの?」 「違うかしら」 ゆったりとリティは微笑んだ。 その真っ直ぐな瞳は思考を放棄することを許さず、雲雀にを追いかけ続けたこの二ヶ月間のことを思い起こさせる。 ――言われてみれば、そうかもしれない。 が両刀だと知ってからそっち方面でのアプローチも混ぜつつ仕掛けていったのは事実だし、彼の部屋に忍び込んで寝込みを襲ったこともある。 毛布に埋まるの上を取ったときにはなんともいえない高揚感がこみあげてきたのは確かだ。 結局ベッドの上での乱闘の末に上を取られてそのまま逃げられてしまったのだが、自分を見下ろしてくる黒い瞳と、シーツに埋もれる背中の感触は今でもはっきりと思い出すことができる。 ふと意識を現在に引き戻すと、リティの灰色の瞳と目があった。 彼女は相変わらず笑みを浮かべたまま、その凍った血を含む灰色の瞳で雲雀を見つめている。 回想が終了したらしいと判断した彼女は、それまでどことなく鋭さのあった瞳をふっと緩ませた。 それから雲雀の心の内を見透かしたような顔でにっこりと笑ってみせる。 カウンターに放置されたままだった本を引き出しの中にしまうと、すっと立ち上がった。 「兄は今、二階のほうにいるの。 たぶん寝てるとは思うけれど、起こしてしまっても構わないから」 「いいのかい。彼は僕に追いかけられるのを嫌がっているんだろう?」 「なんだかんだ言いつつもあなたのことを気に入っているのは確かだもの。 でなければあなた、とうの昔に殺されてるわ」 あなたみたいなタイプ実は結構好みだしねと言って、リティは雲雀を工房の方へと招き入れた。 奥にある裏口から外に出て、目の前にある階段を指し示す。 「この上が家になっているの。鍵はかかってないから簡単に入れるはずよ」 「ずいぶん無用心だね」 「この家はちょっと特殊なの。家主が許した人でないと見つけられないようになってるのよ。 だからあなたがここにこられたってことは、つまりはそういうこと」 片目をつぶって、こっそり秘密を明かす子どものような顔をしてリティは言った。 その言葉に雲雀が何かを言うよりも早く階段の方に押し出され、ごゆっくりという笑顔を残して扉は閉められる。 閉め出されてしまった雲雀は仕方なく古びた階段を上り始めた。 Z ピアネロットロ通りの時計屋
09.02.28
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