南イタリアにある海岸沿いののどかな町。 ピアネロットロ通りという、大通りというにはやや小規模なその通りの一角に、その店はひっそりと存在していた。 時計屋カプリチョーザ。 が経営する、小さな小さな時計屋だ。 「平和最高」 カウンターで頬杖をつきながら、はぼんやりと通りの様子を眺めていた。 休日の今日、通りにはそれなりの人通りがあり、ショーウィンドウ越しの人間観察には事欠かない。 しかしウィンドウショッピングを楽しむ人々はカプリチョーザと書かれた時計屋には見向きもせず、いやそれ以前にそこに店があるということに気付くことすらなく通り過ぎていった。 事実、彼らの意識の中にカプリチョーザという名の店は存在しないのだ。 この店には、特殊な術がかけられている。 この店の主であるが許したもの以外は、入ることはおろか見つけることすらできない。 とある事情により逃亡中の身であるは二ヶ月間の攻防の末最後の砦としてこの店に逃げ込み、と彼の妹以外は入れないようにして久しぶりの平和を楽しんでいた。 店はあまり広くはなく、長方形の真ん中あたりをカウンターでふたつに仕切っている。 大通り側の空間は商品の展示場所になっており、奥のもう半分は工房だ。 工房の奥には裏口がついており、そこから外に出て階段を上るとのプライベート用の家がある。 そんなに大きくはないが、一人で住むにはちょうどいい大きさの、にとっては宝物のような家だった。 くあ、と大きなあくびを噛み殺したとき、ふとの視界に金色の何かが映った。 ガラス越しにでもはっきりとわかるほどにきらきらと輝いているそれは時計屋の前で止まる。 やがてカランコロンという涼やかな音と共に扉がゆっくりと開かれた。 「二日連続でくるなんて珍しいな」 「おいしいお菓子をいただいたから、一緒に食べようと思ったの」 手に小ぶりの包みを持って現れたのは、の妹だった。 名をラフィリアといい、とはだいぶ年の差がある。 うすく透き通るような長い金髪に薄いグレーの瞳、折れそうなほどに華奢な身体。 瞳は一見グレーに見えるが、中心が芥子粒ほどだけ赤かった。 まるで血が水の中で凍り付いたような、不思議な色あいをしている。 全体的に華奢な体格と洗練された動作が育ちの良さを感じさせるが、常に好奇心に輝く大きめの瞳が大人しいだけのお嬢様ではないという印象を与えている。 血が繋がっていなくともにとってはとても大切な妹だ。 「ブリジットのお姉様が焼いてくださったの。 最近、忙しくていらしたでしょう。甘いものでもどうかと思って」 「そりゃいい。あとでお礼言っといてな」 「もちろん」 工房の片隅についている簡易キッチンからお茶道具一式を取り出しながら、リティはふわりと微笑んだ。 乾燥させた数種類の花びらを、柄の長いスプーンですくいあげてポットに入れる。 熱い湯に落とされた花びらからは瑞々しい香りが立ち上り、まるで花畑にでも迷い込んだような錯覚を覚えさせる。 ひとしきり花茶の香りを楽しんでからオレンジを牛乳で濾したものを加えると、牛乳のサモレのできあがりだ。 ミルクの甘さとオレンジの酸味に花の香りが混ざり、しっとりと蜜を含んだスポンジケーキととてもよく合うのである。 お茶もお菓子も妹が勤め先から持ち帰ってきたものだが、はとても気に入っていた。 花茶は主に香りと作法を楽しむものなのであまり味はないが、牛乳のサモレにすればどんなお菓子にも合うし、ミルクのかわりにワインをぶち込んでもいい。 前に友人達が遊びにきたときにいれてやったときもなかなかに好評だった。 「うまい、さすがブリジット。このぶんだと、店はかなり繁盛してるんだろ?」 「ええ。喫茶通り一のお店としてとても人気なの」 ブリジットというのはリティが勤め先で知り合った女性のことだ。 彼女はお菓子つくりだけでなく花茶の達人で、一千種類以上のお茶をつくることができるらしい。 今は自分の店を持って小洒落た喫茶店を経営しているのだが、リティはちょくちょく訪れているようだった。 彼女の仕事(というほどのものではないかもしれないが)は現在それほど時間に縛られはしないので、暇を見つけてはの店の店番をしていることもある。 「兄様、何かあったの?」 「なんで?」 「だって、入店条件を厳しくしてるでしょう。 いつもなら、一般人には開放してるのにそれも閉じてしまっているし」 「あー…。ちょっとな、追っかけてくるやつがいるんだ。そいつがまたしつこいのなんのって。 結構な情報網を持ってるやつだから、念のため全部閉じたんだよ」 「お友達も閉め出してしまったの?」 「そのお友達がそもそもの原因だしな」 「あら」 くすくすとリティは笑った。 ちなみに、その原因となったお友達は彼女のこの笑顔にすっかり惚れ込んでしまっているのだが、本人はあんまり気にしていなかった。 気にしていないどころか、はなから眼中にないと言った方がたぶん正しい。 「ボンゴレの雲雀恭弥って奴でな、これがとんでもない戦闘狂なんだよ。 や、戦闘以外でもけっこういかれてるか。凶悪なトンファーで殴りかかってくるし、 俺が両刀だって知ったら色仕掛けまで混ぜてくるし。なんてガキだ」 「年下の人?」 「お前とおんなじか、ちょっと上かな。つり目のけっこうかわいい顔した日本人だ」 兄の言葉に、リティはちょっと首を傾げてみせた。 ぶつぶつと文句を言っているが、つき合いの長い妹から見るとそれなりに気に入っているようにも聞こえる。 無意識なのだろうか。 「ねえ、兄様。そんなに嫌なら、どうして殺してしまわないの? いつもなら、さっさと始末しているでしょう」 ぶっそうな妹の言葉に、しかし兄は特に眉をしかめたりはしなかった。 この妹は外見こそいいところのお嬢様だがれっきとした裏社会の人間なのだ。 ちょっと前までは隠密のような仕事もこなしていたし、闘いの腕もそれなりにある。 妹の言葉はまさにその通りのことだったので、は小さく肩をすくめただけだった。 「ボンゴレの幹部だからな、さすがに殺したら面倒くさいことになるだろ。 それになあ、あいつディーノの弟子なんだよ。 親友のお気に入りを殺すのは、なるべくならやりたくない」 それだけだろうか、とリティは思った。 たとえ親友の弟子だろうが超巨大組織の幹部だろうが、しつこく自分を狙ってくる相手ならば一切容赦はしないのがこの兄だ。 それをこの店に逃げ込んでからも放っておいているのだから、何かないという方がおかしい。 リティはスポンジケーキをほおばっている兄を見た。 その横顔は、いつも通りの兄の顔に見える。もともと本心をあまり表に出すことのない男だ。 そう簡単には、その本心を伺い知ることはできない。 「おかわりいる?」 「ん、頼む」 先ほどとは違う花びらを入れて、二杯目の花茶をいれる。 兄妹の穏やかな午後は、こうして過ぎていった。 Y “時計屋カプリチョーザ”
夢主兄妹のみの登場でした。 こっそりというにはあまりにも堂々と他作品の単語がたくさん出てきております。 もともとリティはそっちの方の夢主でした。 実は、いわゆる異世界トリップというやつができる兄妹なので。(オリジナル設定「時渡りの一族」なんですけど、うちのサイトには奴らがちょくちょく出てきます。話の本筋にはあんまり関係ない設定ですが) 夢主もそっちの世界にいたことがあるのですが、そのときのお話もいつか書いてみたいですね。 09.02.28
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