02:




走って、走って、走って。
同じ“走る”ことなのにいつもと違うように感じられて、咢は内心驚いていた。
たぶんそれは、今自分の少し前を走っている男のせいだ。
男の走りは、しなやかだった。
体型はかなり細く見えるのだが、それはほどよくひきしまった筋肉が無駄なくついているというだけのことらしい。
力強く、伸びやかに。
チーターや豹といった、猫科の野生動物を思わせるような。
スピード系ライダーではないだろうが、それでも十分に、速い。
おそらくA級ライダーの中でもかなり上位に入るだろう。
これだけの実力があるのだから王達に並んで有名であってもおかしくないのにと咢は記憶を探った。
しかし脱色して白がかった灰色の髪に濃いグレーの瞳、そしてあの派手なパーカーを着た人間なんて、覚えがない。
エンブレムを見ようにもパーカーは腰巻きにされていて、見えない。
ファック。
一向に縮まらない距離を睨みつけながら、咢は足に力を込めた。




ゴールである廃ビルまではもう少し。
それでもまだ、男の方が数メートル前にいる。
速い。
「・・・・・・ファック!」
民家の屋根を思いっきり蹴り上げる。
ふわり、浮く身体。
もう一度、今度は背の低いビルの壁を蹴る。
蹴って、蹴って、軸足に体重を乗せて、加速して。

男の隣に、並んだ。

「おぉ?」
男は突然併走してきた咢に驚いたようで、ゴーグルの中の目は丸く見開かれている。
が、それも一瞬のこと、すぐににやりとした笑みに変わった。
スリルを楽しむ、まさにそんな顔。
二人そろって、廃ビルから突き出したパイプに足をかけた。






「・・・・・・・・・・・・」
「俺の勝ちー」
ゴーグルを外して見下ろしてくる男を咢は睨みつけた。
勝負は僅差で男の勝ちだった。
いや、違う。
物理的には僅差で男の方が先にゴールしたのだが、圧倒的な差で咢は負けていた。
咢は今、廃ビルの屋上に仰向けに転がっている。
息は荒い。
それに対して男の呼吸は全く乱れてはいなくて、それどころか涼しい顔をして汗すらもかいていなかった。

ムカツク。
くやしい。

こんな負け方をしたのは久しぶり、いやもしかしたら初めてのことかもしれない。
男は腰にひっさげていたペットボトルを開けて一口飲むと、飲むか?と差し出してきた。
飲む、と手を伸ばして受け取って、ぬるい液体をのどに流し込む。
「全部飲んじゃっていいよ」
残り少ないし。
男がそう言うから、遠慮無く咢は容器の中のスポーツドリンクを全て飲み干した。
空になったペットボトルのキャップをしめたとき、無機質な電子音。
「おわ、俺だ」
男は慌ててポケットを探る。
携帯を取り出すと、勢いよく電話にでた。
「もしもし、加奈?  、なにやってるの。その子○風の子でしょ。いいの?』
 いいの。つーか見てた?  『通りすがりだけど。真っ昼間だし、めだってた』
 あー…。 『わたしの他には見た人いないみたいだからいいけど。気を付けてね』
 わかってるって。用件それ?  『違う。今日のミーテどうするのって先代が』
 ・・・・・・今日ってミーテの日?  『この間自分で言ったでしょ。忘れたの?』
 あーそういやそんなこと言ったような…。忘れてた。前回と同じでいいんじゃね?
 来れる奴だけホームに25:00集合。
 来れない奴は後でメール回す。  『わかった、みんなにも伝えとく』
 ん、よろしくな」
ブツリ、通話の切れる音。
「テメェ、チーム入ってるのか?」
立ち上がりながら聞くと、男はポケットに携帯をしまうかわりに一枚のステッカーを取り出した。
「これ」
反った形の三角形と文字だけでできた簡素なエンブレム。
刻まれた文字は、“Crush Air”。
「・・・・・・ファック!」
「え、なんでそこでファック?」
咢は舌打ちしたい衝動に駆られた。
というか、思いっきり舌打ちした。
この男がただ者ではないだろうと思っていたがよりにもよってこのチームだなんて、冗談じゃない。
海人のブラックリストの上位に常に記載されているこのチーム。
50名近くいると言われるメンバー全員がA級以上なのに上を目指そうとしない特殊性と、〇風Gメンをとにかくおちょくりまくることで有名なのだ。
特に室長の海人はいつも嫌がらせのターゲットにされていて、海人のライダー嫌いに拍車をかけている要因のひとつである。
「ちなみに俺総長な」
おまけにこれだ。
出合い頭に名前を聞いておかなかった自分にも非はあるが、それにしても。
チームCrush Airの総長といったら、王並に有名も有名、名前は広く知れ渡っているのだ。
     ホワイトラビット
「あの“白ウサギ”のがこんな奴だとは思わなかった」
「うん? それどういう意味?」
はきょとんとした表情で聞き返した。
その顔はとてもあのCrush Airの現総長であるとは思えないほどに、覇気というか、リーダーらしい雰囲気というものがまるでない。
「あぁでも、俺もちょっと以外だったなー。咢って、そこらのライダーに恐れられてるほど鮫っぽくないもん」
屈託のない笑顔で頭をぽんぽんとなでられ、咢は一瞬詰まった。
“鮫っぽくないもん”。
それはつまり。
目を見開いて凝視してくる咢に、はにっこりと笑みを深くする。
「うん、知ってた。牙の王っつったら有名だもんな。特に俺らの中じゃ馬鹿海人の弟くんで通ってるし。俺、何回かお前が走ってるとこ見たことあるんだよ。直接会ったことはなかったから、咢が俺を知らないのは当然だけど」
咢は声が出なかった。
知ってて、声をかけてきたというのか、この男は。
よりにもよって彼らにとってもこちらにとっても天敵であるこの自分に。
咢の心を汲んだのか、咢の隣に腰を下ろして、はだけどよ、と続けた。
「海人はマジでライダー嫌いっぽいけどさ。咢は違うだろ? なんつーか‥‥。本当はもっと自由に飛べるのに、自分で自分を縛ってるっつーか。もちろん海人のせいもあるんだろうけどなー」
だから咢なら大丈夫かなって思ったんだ。
にかっと、または笑った。
「おれ、は」
俺は。
の言葉がどうしようもなく心に沁みてきて、咢は唇を噛んだ。
言葉がでない。
なんて返したらいいのかわからない。
「咢?」
は俯いてしまった咢の顔を下から覗き込んだ。
そして辛そうに顔を歪めているのを見て、困ったように眉をさげる。
腕を伸ばして親指で赤く腫れそうなくらいに噛みしめられた唇をそっとなぞって噛むのをやめさせると、おもむろに咢の腕を引いた。
「っ!?」
そしてそのまま胡座をかいた自分の足の上に座らせて、後ろからぎゅっと抱きしめる。
何すんだ、と咢はもがいたが腕は一向に緩められず、それどころかさらに力を増した。
ファック。
力じゃ敵わないと大人しくなった咢が小さく呟くと、頭をなでられた。
肩に顎がのせられて、それからくつくつと笑っているのが振動で伝わってくる。
「咢かーわいー」
海人のとこに置いとくにはもったいない。
耳元で囁くように言われて、咢の肩が跳ねた。
くすぐったい。
「なぁ、さっきの勝負の約束」
視線だけでの顔を見ると、は笑っていた。
この男はよく笑う。
純粋な、見る者を安心させるような、屈託のない笑顔で。
この男が仲間達に慕われている理由が、ちょっとわかったような気がした。 「また飛ぼう」
お前が外に出れるときでいいからさ。
「・・・・・・確約はできねぇぞ」
小さく紡がれた言葉。
そこに込められた意味を正確に読み取って、それでもは頷いた。
「わかってるって。海人の人の扱いの荒さはよおくわかってるし」
咢が仕事以外で外にでられるときは、海人の機嫌がいいときぐらいしかない。
一ヶ月近く全くでられないことだって、あるのだ。
それでも。
「俺、大抵はここらへん飛んでるからさ。いなかったら、そうだな。チームのやつらにも言っておくし、誰かに聞けばなんかわかるようにしとくから」
だから。
今日だけじゃなくて、また一緒に、飛ぼうな?
にかり、今日何度目かわからない笑顔でそう言われて、咢は思わず顔をそむけた。
鼻の奥がツンとして、顔を見られたくなかった。
咢はなぜ自分がこの男の笑顔を見るのが、あたまを撫でられるのが嫌なのか、本当は始めからわかっていた。
ただ、戸惑っていただけで。
この男は、は、優しいのだ。
咢が今まで出会ってきた人間の中で一番、優しい。
出会ったときから、初めて言葉を交わしたときから、いやもっと前から。
もしかしたらきっと、初めて視線が合ったその瞬間から、は優しかった。
咢は優しさというものをあまりよく知らなかった。
だからこれが優しさなのだと気付くまで優しさを受けることに慣れていなかった咢は戸惑い、優しくされて“嬉しい”という感情の意味がわからなくて、いらつきという言葉にすり替えた。
だけど。
「・・・・・・ファック」
小さく、本当に小さく、咢は呟く。
それでも密着していたはきちんと聞き取って、そしてまたくしゃりと頭をなでた。
大きなてのひら。
あたたかい。
こんな手は、今まで知らなかった。
こんなにも心地よいものがあるだなんて、知らずに生きてきた。
落ち着く。
目頭が熱い。
潤んだ瞳を悟られたくなくて、咢はの腕に額を押しつけた。
きっとこの男は気付いているだろうが、それでも。




ぽんぽんとあやすように撫でられて、咢は静かに笑った。




Hunt the Hunt 02:

咢は海人に一般的な優しさというものは貰えていなかったから、きっと知らないんだろうなぁと、そんなお話。
だから優しくされると照れるのです。それがまたかわいい。
2006.7.20
高二の夏に書いた覚えがあるんですが、なんていうか、恥ずかしい…。
たしか脳みそが一番おめでたい時代だったような気がします。
過去の自分の阿呆ー!
2008.7.20 修正