は水が好きらしいということに白蘭が気づいたのは、彼女を自分のファミリーに引き入れてすぐのことだった。 光がたっぷり入るようにつくられた植物園、その中に人工的につくられた小川。 ある程度の幅がある水底には砂利が敷かれ、透明な水がさらさらと流れるそこにはよく素足をさらしてくつろいでいる。 そのまま本を読んでいることもあれば、小川に沿って歩いたり、とにかく流れる水に触れているのが好きらしい。 あるとき白蘭は、まだ薄い朝日が差し込む早朝に植物園でを見つけた。 いつものように近くまで行こうとして、しかしすぐに足を止めた。 彼が見たのは、水の中で膝までを濡らしてひざまずくような格好でうつむき手を組んでいるの姿。 組んだ両手を額に押し付けるようにしたその姿は十字架を前にした信者のようだった。 ――それはまるで、一枚の絵のような。 視えない壁が自分と彼女を隔てているような気がして、たった数メートルの距離が果てしなく遠く感じられた。 しばらくそのままでいたが、ゆっくりと顔を上げる。 組んでいた両手をほどいたは、人の気配に敏感な彼女にしては珍しくそこでようやく白蘭の存在に気付いたようだった。 驚いたようにぱちぱちと大きくまばたき、それからふっと表情を緩める。 自分の知らないの一面を垣間見た気がして、白蘭の心臓がドクンと大きく音をたてた。 「なんだ、いたの、ボス。まだ寝てるかと思ったのに」 「目が覚めちゃってね。それ、いつもやってるの?」 「いいえ、めったに。今日は懐かしい夢を見たから、つい」 足首ほどの深さしかない浅い水の中で立ち上がったが、ゆっくりと水からあがってくる。きちんとタオルを用意しているあたり、彼女の言うとおりあらかじめ水に入るつもりでこんな朝早くに来たのだろう。 手慣れた様子でブーツを履き終えたは、何も聞かないの、と言った。 「何を聞くの?」 「わたしが今していたことについて。マフィアはクリスチャンでしょう。さっきのわたしの行為は、異教徒の祈りに見えたはずだけど」 違う?と首を傾けられる。朝日を受けて輝く彼女の黒髪がさらりと流れた。 「まぁ確かにそうだけどね。僕は熱心な信者じゃないし、別にいいんじゃないかな」 「そう?」 あなたらしいけど、と言って、は唇に笑みをのせた。どうも白蘭の返答が気に入ったらしく、ずいぶんとご機嫌のようだ。 こんな彼女が見れるのなら、たまには早起きも悪くはない。 「でもちょっと意外だったな。百合チャンが神サマを信じてるなんて」 「神に祈っていたわけではないよ」 はいたずらっぽく笑ってみせた。 「わたしは神という存在は認めても、信じてはいないから」 「認めてはいるんだ?」 「そうね。そういう所で育ったから」 が自らのことについて語るのは、とても珍しいことだった。彼女は自分のことについて嘘は付かないが、詳しいことは何ひとつ言おうとはしない。だが今日は、どことなく雰囲気が違った。遠くを見るような、何かを懐かしむような顔をして、流れる水を見つめている。 その瞳に浮かんでいるのは、寂寥感、だろうか? 「わたしに、前の主がいたって話はしたよね」 唐突にが話題を変えた。だが、彼女は白蘭の方を見てはいない。 の前の主。その存在は、確かに聞いたことがある。彼女はミルフィオーレに来るまではその人物の隠密をやっていたのだ。 は白蘭の返事を待たずに続けた。 「彼が生きていたときの、夢を見たから。奥方と仲良く寄り添って、子どもがいないかわりにわたしを娘みたいにかわいがってくれていたときの、懐かしい夢を」 今はもう過去のこととなってしまった昔を懐かしむようには目を細めた。その口元には、仄かに笑みが浮かんでいる。 「さっきの祈りは奥方の地元でかなり頻繁にやられていた習慣でね、わたしも滞在中は同じようにやらされてたの。純粋な信者ではないけれど、今日くらいはいいかなって」 やはり、あまり詳しく言う気はないらしい。これで話は終わりとでも言うように、は振り返って笑顔を見せた。それからこっちに来てと手招きをしてみせる。 「うん、なに?」 「いいから、そこ立って」 「チャン?」 に腕をつかまれ、小川の近くまで押しやられる。そのまま彼女が手を放したのを白蘭が不思議に思った次の瞬間、どんと胸元に衝撃があって、白蘭はそのまま小川に背中から突っ込んだ。 水しぶきがあがり、一気に隊服が水を吸って重くなる。 いや、服の重さだけではなかった。白蘭の上に、何かが乗っている。 「…チャン?」 恐る恐る、水に濡れて輝く彼女の艶やかな髪を耳の後ろに流してやって、の顔をそっと窺う。白蘭の上にいるので直接水につかってはいないものの、飛沫を浴びてやはり彼女の全身も塗れてしまっていた。だがはそんなことはどうでもいいとばかりに肩を震わせ、笑っている。 その笑顔がちょっとだけ泣きそうで、心臓が音を立てて走り始めて、あまりにも愛おしく感じたものだから、 「チャン」 彼女の頬に手を添えて、軽く触れ合うだけの柔らかなバードキスを。 驚きに目を見開くを全力で抱きしめて、勢いよく横に反転する。 ――閑静なはずの植物園に、本日二度目の派手な水しぶきがあがった。 水の中で何を想う
ばかっぷるですね。(砂糖吐きながら) そしてまたもや別作品ネタを混ぜ込んですみません。あの作品をご存じの方はもうだいたい彼女の過去がおわかりになっていると思いますが、別にわからなくても全然問題はないです。ただの作者の趣味ですから!(オイ) 2009.08.05
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