「さん?」 「入江くん」 白蘭の執務室へと続く廊下の途中で、ミルフィオーレファミリーのナンバーツーである入江正一はボスの恋人であるに会った。の両手には白黒のもこもことした何かがしっかりと抱きかかえられている。よく見ればそれはぬいぐるみだった。彼女はぬいぐるみの製作と収集が趣味なのだが、どこか機嫌がいいらしいところを見るとどうやら新しいコレクションを作り上げたばかりのようだ。 「こんにちは。それは、‥‥パンダですか?」 「そう、パンダ。パンダのランラン」 「え」 パンダのランラン。パンダの顔を入江の正面に向けて、嬉しそうにはにかみながら言われた言葉に彼は凍り付いた。‥‥ランラン? 「あの、名前の由来を聞いてもいいでしょうか」 「うちのクソボスから」 「‥‥ですよね」 ミルフィオーレファミリーの現ボスは、このという女性に惚れている。いずれはドン・ミルフィオーレ夫人となるであろうというのがファミリー内の認識だった。もっとも本人はそんなつもりはないようで、というかなぜ白蘭のもとに留まっているのかと疑問に思えてくるくらい白蘭に対する愛情は希薄で、しょっちゅう白蘭に対してキレている姿が(主に入江正一に)目撃されている。 入江はボスに仕事をさせるという名誉このうえない最悪の役目を負っているため、同じくボスの秘書のようなことを務めているとはだいぶ面識がある。彼女の愚痴を聞くのも入江の仕事のひとつだった。 「それ、追加の仕事?」 が入江の手の中にある数枚の書類に気付いた。手作りのパンダをぎゅっと両手でかかえて、首を傾ける。白蘭に対しては冷たい態度をとるだが、素はとてもかわいらしい人なんだよな、と入江は思った。 「そうです。この間の件の報告書を」 「今日はもうやらないよ」 「‥‥ボス」 ぬっとなんの気配もなく背後から表れた白蘭に、はとっさに身体を引こうとした。が、後ろから抱きしめられてしまい動けなくなる。の身長は白蘭の肩にようやく届く程度だ。完全に抱え込まれてしまえば、殺す気でかからないと抜け出すことは難しい。 「今日はもう終わり。チャンにもらった仕事はぜんぶ片付けたからね。そういうわけて正チャン、それはまた明日」 「だめ、今日片付けて。明日はまた別の報告書が大量にくる予定なんだから」 「えー」 「えーじゃない。ミルフィオーレはやることさえやれば幸せになれるんでしょ。ちゃんとやりなさい、ボス」 目尻をつり上げたに腕の中から見上げられて、白蘭はそこでパンダの存在に気付いた。の手にしっかりと抱えられたそれはかわいらしく白蘭を見上げている。そういえば先日が縫っていたぬいぐるみの材料は、白と黒の布だったような気がする。 「チャン、それ、新しいコ?」 「そう。パンダのランラン」 「‥‥ランラン?」 「ランラン」 一拍置いて、白蘭は笑顔になった。にっこーと効果音が付きそうな、背景に花びらが舞っていそうな、満面の笑顔だった。そしてちゅ、との額に唇を落とす。は怒った顔をして、白蘭の腹に肘鉄を入れた。 ボスとその恋人のいちゃつき(こういうとは怒るのだが、どう見てもいちゃついているようにしか見えない)を前にしながら、一方の入江は今すぐ立ち去りたい衝動に駆られながら懸命に耐えていた。ボスの執務室に入ることのできる幹部は入江の他にも数名いるのだが、その誰もができるだけ執務室に近づこうとしないで入江に全てを押しつけてくる。その理由がまさに今目の前で繰り広げられているものを見たくないからなんだよなぁと、彼は遠くの方へと視線を向けた。 「正チャン」 「‥‥なんでしょう」 満面の笑みの白蘭が、にこにこ顔のまま入江に手を出している。 「それ、ちょうだい。さっさと片付けるから」 どうやら恋人がぬいぐるみの名前を自分の名前から命名したということがよほど嬉しかったらしい。報告書を受け取った白蘭は、を抱きしめたまま執務室へと戻っていった。途中での白い手がひらひらと振られたのは、入江に対するまたねという挨拶だろう。 軽く頭痛を覚えながら、すでに見えなくなった二人にぺこりと一礼して、入江はもときた廊下を戻っていった。 パンダのランラン
2008.02.11
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